よどみの里 第一場

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よどみの里 第一場 

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第一場

   都の片隅。夕暮れにもなると様々な人間がそこに溜まりだす。酒を手にした大工姿

   の男。破れた布直垂の牛追い。見習い商人風な男。売れ残った野菜を入れた籠を見

   て途方にくれる中年の女。奥では僧が横になっている。

商人  今度は西国で乱が起こったそうだ。

大工  やっと世の中が平らかになったと思いきや、またか。

商人  なんでも今度の乱は単頼房様が起こしたとか。

牛追  誰だ? その単頼房様って、

商人  うむ、左大臣様の何番目かの御子で西国に学問を学びに行っていたらしいお方よ。

野菜売 らしいらしいね。その頼房様がなんでまた戦なんて始めたのよ?

牛追  今の世は弓矢を背負った武者が東に西に行きかう戦の世だ。何が起こっても別に

   おかしかねえや。

大工  うるせえ、おめえら黙って聞いてろ。

野菜売 なんだいえらそうに。教えてくれるのはそっちの若い人だろう。

商人  まあまあ、発端っていうのが、その頼房様が西国である娘に惚れたんだと。

大工  なんだよ。学んでいたのは女遊びか。

商人  馬鹿、滅多なことを言うんじゃない。

野菜売 その首がかんなでかけられたみたいにツルッととんでっちまうよ。

商人  しかし、仕えていた者たちに人攫い同然で連れてこさせたそうだ。

牛追  それじゃあ、まるで盗賊じゃねえか。上も下もやることはかわらねえな。腐った

   世の中だ。

野菜売 本当だねぇ。取り締まる側がそんなことをしたんじゃ、世の中悪くなるばかりだ

   わ。

大工  しかしまぁ、俺たちが生きていられるのも、その御上が守ってくれてるからさ。

野菜売 そうかねぇ。この国のどこもかしこも死人だらけ、人が死ぬのが珍しくない世の

   中だよ。貴族の連中と来たら取ることしか知らないんだから。

牛追  おうよ。何かあっても知らん振りだ。自分の身は自分で守るしかないんだ。

   僧が起き上がってくる。

僧   そうだ。盗賊や山賊、野党にいたるまでみんな御上が作ってしまったものだ。貧

   しい者に罪は無い。

大工  お、なんだい死んでるんじゃなかったのか。こんな世じゃ念仏をいくつ唱えても

   足りないだろう?

僧   念仏か。それも良い心がけだが、人が仏にすがるのは困ったときだけだ。念仏な

   ど腹の足しにもならん。無駄だ無駄だ。

牛追  ははは、おかしな坊主だ。何ぞ悪さでもして破門でもされたかい?

商人  そうじゃ、まともな坊さんにはまるで見えん。

野菜売 どうせ、寺を追い出されたんだろ。

僧   わしが破戒僧だと? 違う違う。この俺は仏に群がる毛虫や白蟻どもをこの二つ

   の眼で見限ってきたのだ。近頃の連中と来ては仏の道よりも暴力を好むようになっ

   てきおった。さあさあ、俺の話よりももっと聞かせろ。単頼房はどうしたんだ?

大工  そうだそうだ。続きを話せ。

商人  おう。でだな、頼房様は娘と無理やり契りを交わしたそうだ。

牛追  なんだつまらん。誰も取り返しに来なかったのか。

野菜売 そんな勇ましい奴なんているわけ無いでしょうが。みーんな仕返しが怖くて寝泣

   き寝入りだよ。

商人  まあ、話はこれからよ。左大臣単師房様のお使いで祝いを述べに来た春宮(しゅ

   んぐう)重脇卿がこの娘の姿を目に留めた。その美しさに我を忘れたほどだ。都に

   帰ってその美しさを吹聴して回ったんだが、それが兄の少納言師長様のお耳にも届

   いたんだな。そんなに美しい娘ならば一度見てみたいと、何かと理由をつけて娘を

   都に呼び寄せたのよ。

大工  それが大乱の話とどうつながるんだ?

牛追  おい、春宮って誰だよ?

野菜売 黙ってお聞き。少納言様が娘を帰さなかったのね?

商人  そうよ。都に着いた娘はそのまま西国に戻ることは無かった。しかし、師長様が

   帰さなかったわけじゃない。むしろ逆よ。

牛追  逆?

商人  娘は少納言師長様に泣きついたんだ。

大工  なんて?

商人  まぁ、詳しいことはわからんが。

牛追  なんだよ。肝心なところがわかんないのかよ。

野菜売 無理やりかどわかされたんだろう? きっと怖かったのよ。

商人  そうかもな。

大工  それだけで戦が起こるのかい?

商人  いやいや、話はこれで終わりじゃない。今度は左大臣様がその娘に執着してしま

   ったのよ。なんでも師長様から話を聞いたあと、たいそうこの娘を不憫に思ってた

   そうなんだが、何度も通っているうちについつい魔が差して、とうとう自分の妾に

   しちまったんだと。

野菜売 子供の妻を横取りしたのかい?

商人  そうよ。

牛追  それで民を巻き込んだ戦を始めたってのかい? 随分じゃねえか。

僧   それだけではあるまい。不平不満は天下に広がっておるからな。この国の武士を

   巻き込んでの大乱になるだろうな。

商人  だろうなぁ。頼房様は地下人(ちげびと)と蔑まれてきた西国の武士を大勢集め

   てるって話だ。これに驚いた貴族たちは東国から武士を呼んでいるそうだぜ。

僧   民百姓は年貢にも困っているだろうに。まこと哀れだな。今の国政は弱いものを

   くじくためにあるのか。

牛追  それでか。最近、都でも子供を売り買いする商人を見かけたぞ。

野菜売 いやだねぇ。子供を売る親がいるなんて。

大工  親をなくして行き場のない子供もいるそうだな。

商人  東から来る武士たちが、途中で盗賊になっていると言う話も聞いた。都もいつま

   で平和が続くことだか。

野菜売 これからどうなっちまうんだろうねぇ。

大工  俺たちは今日を明日を生きるのが精一杯だしな。

商人  そろそろ帰るよ。

牛追  おうそうだ。俺もこうしてはいられねえんだった。

   僧を残し、一同がその場を離れようとしたとき、与一がふらふらと歩いてくる。

与一  お願いです。どうか、私を橘の君の元まで連れて行ってください。お願いでござ

   います。

   誰も返事をしない。

与一  知らぬのですか? 誰も橘の君の事を……。

   その場に崩れ落ちる与一。僧が立ち上がる。

僧   知っておる。

与一  では、お願いです。私を橘の君の元に!

僧   そんな体で行けるものか。見れば随分な目に合わされたようだ。しかも、橘の君

   に用だという。妖怪にでも襲われたのか? お前にどんな怪異が訪れたのか聞かせ

   ろ。わしでよければ力になってやる。

与一  念仏など何の役にも立ちません。一刻を争うのです。お願いです。橘の君の元へ。

   お礼はきっといたします。

僧   遠いぞ。

与一  これまでの道則を思えば。

   僧、与一の肩を担ぎ上げる。

僧   何、心配するな。わしが連れて行ってやる。礼などいらん。しかし、たどり着く

   までお前の話を聞かせてくれ。それで十分だ。

   与一、しばらく黙っている。僧は歩き出さない。

僧   話さんなら行かぬぞ。

与一  では、お話いたしましょう。私の名は与一。事の起こりは私が生まれる何十年も

   前のことです。私の郷里にて始まった悪夢なのでございます。

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