真昼の星 第一場

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真昼の星 第一場

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第一場

   暗闇の中の雑踏。やがて渡嘉敷が光に照らされる。

渡嘉敷  満員の通勤電車から降りた。そこはいつもは通り過ぎるはずの駅だった。だが

    何の抵抗も感じることなくホームに降り立った。降りる人間乗る人間の波に水草

    のように揉まれながら、私は少しだけ振り返り走り去っていく電車を見つめた。

   発車ベルが鳴り電車が動き出す音。

渡嘉敷  次の電車を使えば、まだ戻れる。耳元ではそんな声が聞こえたような気がした。

    その声を無視して階段を降り駅の改札を出た。いつも通り過ぎる駅はどこか新鮮

    だった。この体に染み付いた重みが消えてくれるのなら、ここが最後の町になら

    なくて済む。そんな気さえした。

   

渡嘉敷  駅を出て西口に進むと、陰になったビルの群れが私を招いているような気がし

    た。私の足は陰の中に吸い込まれていく。路上にはゴミが散らばり、カラスが跳

    ね、ここだけまだ夜が明けきっていないようなそんな雰囲気だった。夜でもない。

    朝でもない。不思議な空間だった。

渡嘉敷  私は8階建てのビルの前で立ち止まった。入り口はシャッターが下りている。

    だが、その脇には非常階段へと通じる狭い路地があった。路地は湿っぽくところ

    どころに水溜りがあった。それを踏まないようにしながら非常階段へとたどり着

    く。

   渡嘉敷は上を見上げる。

渡嘉敷  見上げれば、ビルとビルの間を一筋の光の川が流れている。あれが三途の川な

    んだろうな……。そんなことをつぶやきながら錆びのついた非常階段を一歩ずつ

    ゆっくりと上っていく。立ち止まっては空を見上げ、息を整えながらまた上って

    いく。人生は上り階段だ。それもひどく急な。踏み外せばあっという間に転げ落

    ち、命を落とす。そうだ。振り返れば下り階段になるのだ。どんなに辛くても上

    るしかない。上った先に何も無くても、上り続けるしかない。

   渡嘉敷、ひざに手を当てる。

渡嘉敷  風が吹いて頬をなでた。ビルの屋上には、空が広がっていた。コンクリート

    大地はひび割れ、その峡谷の下では今日も人間が上を目指して階段を上っている。

   渡嘉敷、眼下に広がる人間の世界を見下ろす。

渡嘉敷  バカバカしい。

   渡嘉敷は軽く鼻で笑う。歩き出すがすぐに足を止めた。

   明かりがつく。そこにはカレー男がいる。

   カレー男はビルの外側に向かって、下を覗いたり空を見上げたりを繰り返していた

   が、渡嘉敷に気が付き一連の動きを止めて渡嘉敷に振り返る。

カレー男 止めるなよ!

   カレー男は思い出したように靴を脱いで渡嘉敷を見る。

カレー男 止めるなよ。

   カレー男、外を見ては上を見て手を合わせたり、下を向いて大きなため息をついた

   りしている。

   渡嘉敷は、若者に近づいていく。その気配に気がついて若者は片手で渡嘉敷を静止

   させる。

カレー男 来るな! 来たらすぐ飛び降りるからな

   渡嘉敷は立ち止まる。小さなため息をついてその場に座り込む。その動作にカレー

   男は意外そうな表情を見せる。

カレー男 あれ? 止めないのかよ?

渡嘉敷  止めるかよ。後がつかえてるんだ。さっさと飛べよ。

   渡嘉敷は若者の声を突き放すように答える。

渡嘉敷  ……最後の最後でも、間が悪いとはな。

   渡嘉敷、ポケットに手を入れてタバコを取り出す。残りは二本。100円ライターも

   一緒に入っている。一本をくわえて火をつける。カレー男は渡嘉敷をじっと見てい

   る。渡嘉敷もそれに気が付く

渡嘉敷  何だよ?

   渡嘉敷の言葉にカレー男は薄く笑う。幸薄そうなその笑いは、彼の人間性を表して

   いるかのよう。

カレー男 俺も一本もらっていいスカ?

渡嘉敷  ……バカか?

   渡嘉敷は首だけを下げて恐縮する若者の姿と最後の一本を見比べる。小さく首を振

   ると、渡嘉敷は若者を呼んだ。若者は裸足のまま渡嘉敷に近づこうとする。その足

   が急に止まる。不思議そうな顔をする渡嘉敷に若者は警戒心をあらわにする。

カレー男 そうやって、俺がそっちに行ったら捕まえるつもりなんだろ!

   渡嘉敷は額を掻く。タバコの箱にライターを入れて若者に向かって投げる。

渡嘉敷 さっさと吸って、さっさと死ね。

   カレー男はタバコの箱を拾うと舌打ちした。

カレー男 俺、マルボボ嫌いなんですよね。

   渡嘉敷は急に立ち上がった。その勢いに若者は手を上げて愛想笑いをする。

カレー男 うそっす。

渡嘉敷  嫌なら返せバカヤロウ。最後の一本なんだからな。

カレー男 え

   カレー男はタバコの箱を見る。ライターを取り出しタバコを見つめる。

カレー男 いいんすか、こんな貴重なもん。

   渡嘉敷は座る。

渡嘉敷  吸ったらさっさと飛び降りろよ。後がつかえてるんだから。

   カレー男は首だけを下げてタバコをくわえる。

   それを見て渡嘉敷がため息をつく。

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