眠り姫

眠り姫

                                   作:海部守

 

時: 現代1990-2020年あたりか

 

所:日本のどこか

   高校教室、高校体育館裏の畑、自宅A、自宅B、病院会議室、病院病室、会社、弁当

   屋、河川敷土手など

 

登場人物

・本田マコ   :植物状態より戻ってきた女性。

・秋本キミヒコ :息子に会社を取られ離婚させられた男性。

・高校生マコ  :二世信者。信仰の関係で進学できない。

・高校生キミヒコ:マコの同級生。親が嫌いで進学したくない。

・マコ父    :てんたま教信者。

・マコ母    :てんたま教信者。

・佐田野    :天のたましい教団(てんたま教)地方教会員。

・キミヒコ父  :キミヒコに事業を継がせたいマン。

・医師     :てんたま総合医療センターの医師。

・看護師    :てんたま総合医療センターの看護師。

・アヤコ    :キミヒコの妻。タツヒコの母。

タツヒコ   :キミヒコの息子。母親と同じようにキミヒコを憎んでいて会社や財産

        を奪い取ることを考えている。高校生キミヒコがやっても良い。

弁当屋店員  :ごく一般的な店員。

 

   ※てんたま教とは……男尊女卑の教えであり、女性は常に支える立場に押し込めら

            れ重要ポストにつくことはない差別的な宗教である。

 

   舞台前面かホリゾント幕に現在進行している年を投影できるとわかりやすいかも。

   ※暗転後多すぎるので修正かさらなる工夫をする可能性あり。

 

 

第一場

   高校教室。

   ここで出てくるマコ、キミヒコは高校生マコ(高マコ)と高校生キミヒコ(高キミ)。

   二人の席は離れている。

   マコには友達も少なく机の上に座って友達と談笑している高キミが鬱陶しかった。

   高キミが視線を高マコに向けると高マコはすぐにそらす。

   教師に呼ばれて二人横並びになる。何か説明を受けている。

 

高マコ  なんで私がこいつと作業するんですか?

 

   高マコは教師に食って掛かる。隣りにいる高キミは複雑そうな顔をする。

 

高キミ  しょうがないじゃん。人がいないんだから。帰宅部は俺たちだけだし。

高マコ  あんたは黙っててよ。先生、他の人に変えてください。じゃなきゃ私一人でい

    いです。

高キミ  あぁ、じゃあ、先生いいです。俺1人でやります。

高マコ  バカじゃないの。一人でやったら下校時刻まで終わらないでしょ。

高キミ  俺がいなかったら一人でやる気なんだろ? どっちがバカだよ。

高マコ  あんたみたいなやつ大っ嫌い。

高キミ  あっそ。勝手にどうぞ。

高マコ  待ちなさいよ。

 

   ぐるりと舞台を一周する二人。

   スタスタ歩く高キミに高マコが追いついては文句を言い置いていかれて追いかける。

   みたいなのを繰り返しても良い。

   やがて場所は体育館裏の畑に変わる。

   鎌を拾って草むしりを始める二人。その距離は遠い。

 

高キミ  担任だからって生徒をこき使うのは良くないよな?

高マコ  喋ってないで仕事したら?

高キミ  はいはい。

高マコ  適当にやってると手を切るわよ。

高キミ  ほいほい。

 

   高キミ、鎌を大きく振り下ろす。

 

高マコ  おい。そんな風に鎌を振り上げてこっちに来たら殺すからね。

高キミ  へいへい。用事があるなら帰ってもいいけど?

高マコ  ……いい。学校にいたほうが楽しいから。

高キミ  だよねー、そこは俺も同意。塾とか嫌だもんな。

高マコ  あのさぁ、親に塾、行かせてもらってるなら行きなさいよ。ここは全部私がや

    るから。

高キミ  いいよ。勉強なんかしたくないし。

高マコ  私あんたのそういうところもキライ。

高キミ  勉強なんかしたいやつのほうが変だって。

高マコ  私はまだ勉強したい。それで、進学して家を出たい。

高キミ  あぁ、親が厳しいんだ。

高マコ  壊れてるんだ。

高キミ  ん?

高マコ  うちの親はぶっ壊れてるの。

高キミ  俺の親父だってぶっ壊れてるよ。会社継げ継げうるさいしさぁ。

高マコ  あんたの家、会社なの? 何やってるの?

高キミ  小さな会社だよ。工場とかで使う機械を作る系のやつ。

高マコ  へー。何かますます嫌いになった。

高キミ  言ってろ。

高マコ  よそ見して作業してると危ないよ。

高キミ  こんなの草刈り機でバーっとやっちまえば、いて!

高マコ  なに?

高キミ  刃が指にあたった。

高マコ  大丈夫?

高キミ  大丈夫大丈夫。

高マコ  見せて。

高キミ  大丈夫だよ。

高マコ  良いから見せて。血が出てるじゃん。ほら洗いに行くよ。

高キミ  大丈夫だって。

高マコ  良いから来なさいよ。

高キミ  なんか、さぁ、

高マコ  なに?

高キミ  案外優しいんだな。

高マコ  ば、バカじゃないの! 普通、心配するでしょ!

 

   暗転。

 

第二場

   体育館裏の畑。

   ここも高校生マコと高校生キミヒコ。

   草刈りする高キミと高マコ。前の時と比べその距離が半分くらいになっている。

 

   暗転する度に距離が半分になる。

   季節ごとに制服を変えていくと時間の経過がわかって良いだろう。

 

高マコ  あんたのせいでまた草刈りだわ。

高キミ  本田は大学行って何すんの?

高マコ  決めてない。行けるかわかんないけど家を出たいだけだもん。秋本は?

高キミ  俺は工学系の大学に行けって言われてる。高校は普通のところに入ったからそ

    の分塾が地獄なんだよなぁ。

高マコ  うちは家が地獄だもんなぁ。

高キミ  家が地獄ってなんだよそれ。

高マコ  んー、まぁ、聞いたら引くからいい。最初は高校にも行かせてもらえなかった

    かもしれないんだよね。女の子は中卒で十分なんだってさ。

高キミ  何時代だよ。

高マコ  本当だよね。ね、お年玉とかいくらもらってんの?

高キミ  何だよ急に。うちの親父はケチだからそんなにくれないよ。親戚連中と合わせ

    て20万くらいかなぁ。

高マコ  うっそ。そんなにもらってんの?

高キミ  ま、回ればね。親戚の家を。

高マコ  うちはお婆ちゃん家に行っても1万円ももらえないなぁ。どうせ親に取られて

    寄付されちゃうんだろうからって。

高キミ  寄付? 24時間テレビ

高マコ  なにそれ?

高キミ  テレビで集めてるやつ。知らないの?

高マコ  うち、テレビ見せてもらえないんだ。

高キミ  マジで?

高マコ  マジで。

高キミ  じゃ、家で何してるんだよ。ずっと勉強?

高マコ  家の中で勉強してると殴られる。

高キミ  どんな家だよ。

高マコ  地獄。

高キミ  ただ勉強しなくて良いんだったら天国だけど殴られるのは嫌だなぁ。

高マコ  だから早く家を出たいんだ。あんな家に帰りたくないんだよね。それなのにさ

    ぁ、雑草がもう無い。もっとわーっと増えればいいのになぁ。

高キミ  教えてやろうか?

高マコ  何を?

高キミ  ……勉強。

高マコ  人に教えるほど頭いいんだっけ?

高キミ  そこそこ。

高マコ  そこそこの人の教わってもなぁ。

高キミ  文句言うなよ。

高マコ  しかたがない。我慢するか。

高キミ  じゃあ、明日からは図書室な。

高マコ  塾がサボれて嬉しそうだね。

高キミ  あ、バレた?

高マコ  見え見え。あー、でも大丈夫かなぁ。親に言う理由が困る。

高キミ  先生に頼まれたことにすればいいだろ。

高マコ  親に嘘をつくとヤバい。絶対殴られる。

高キミ  殴られる? だけどさぁ、子どもを殴るような親に嘘をついて何が悪いんだよ。

高マコ  たしかに。

高キミ  先生にも根回ししとこうぜ。それなら嘘にならないだろ?

高マコ  何て言うのさ。

高キミ  んー、そうだなぁ。

高マコ  親に確認されたら終わりだよ。

高キミ  待て待て。

高マコ  先生に言われて勉強っていうのも変だしさぁ。

高キミ  うん。これならどうだろう。先生の用事を手伝うために指示があるまで図書室

    で勉強して待ってます。っていうのはどうかな? 嘘は言ってないだろ?

高マコ  おお、さすがずる賢い。

高キミ  うるさい。

 

   暗転。

 

   向かい合って座る二人。楽しそうに勉強して教え合う。

 

   暗転。

 

   夏。隣り合って座る二人。

   頭を抱える高キミ。どうやらテストで高マコに負けたらしい。

 

   暗転。

 

   秋。高マコがやってくるが落ち込んでいる。

 

高キミ  マコ、どうした?

高マコ  キミヒコか。私は終わった。何もかも終わった。もうダメだ。

高キミ  どうしたんだよ。

高マコ  受験料がない。おじいちゃんたちに話したら入学費用は出してくれるって言っ

    たんだけど、受験料の頃忘れてた。もう駄目だ。

高キミ  親は?

高マコ  親はダメだよ。受験には反対だし、人のお年玉もお小遣いも全部寄付しちゃう

    ような連中だもん。受験料だって寄付しちゃうに決まってる。うちの学校バイト

    できないし、もし出来てもやっぱりおぴゃに取られちゃう。

高キミ  どこに寄付すんだよ。

高マコ  宗教。

高キミ  宗教?

高マコ  うん。うちの親っててんたま教の信者なの。

高キミ  へー。全然知らん。

高マコ  女の子は大学に行く必要はないとか、そもそも高校ですらやばくて、それでも

    説得してなんとか入ったんだけどさ。私立だったらアウトだった。

高キミ  それで家を出たかったのか。

高マコ  うん。でももう終わりだ。挑戦も出来なかった。試合終了。ゲームセット。

高キミ   ……。

高マコ  私はもう父さんか母さんが持ってくる就職先で一生を終えるんだ。

高キミ  マコ、

高マコ  んー?

高キミ  勝負しようぜ。

高マコ  はぁ?

高キミ  入試の自己採点が俺より高かったら授業料奢るよ。もちろん受験料は俺が出す

    し俺もマコと同じ大学を受ける。勝負だからな。

高マコ  自己採点勝負で受験料奢るとかなんだよそれ。そこまでしてキミヒコに負けた

    ら本当に最悪じゃん。人生が終わるわ。

高キミ  だけど悪くないだろ?

高マコ  んー、もう一声。交通費も。お願い。

高キミ  わかった。飯代も面倒見る。

高マコ  サンキュ。あ、ねぇ、キミヒコが勝った場合どうすんの? 倍払うの?

高キミ  俺の願い事を聞くっていうのはどう?

高マコ  えーやだ。絶対やだ。やんない。賭けなんかしない。

高キミ  何も言ってないけど。

高マコ  わかる。ろくなことじゃない。大学行ったらバイトして返す。だから賭けはな

    し。借りるだけにする。うん、それがいい。

高キミ  負けなきゃ良いだろ。

高マコ  こんなの絶対負けフラグじゃん。

高キミ  俺に負けるってわかってんだな。

高マコ  負けない。そこは負けない。

高キミ  じゃあ、賭けは成立だな。

高マコ  あー、まじかー。すごい嫌な予感がする。

 

   暗転。

 

第三場

   あっさりと合格発表。ここも高マコ高キミ。

   スライドショーで電車、入試会場、雪、自己採点で高キミが勝つ。そして桜。

   などと連想させると物語の流れがすんなり行くかもしれない。

 

   合格発表掲示板を見て喜び合う高キミとマコ。

 

高キミ  やったな!

高マコ  あったよ。本当にあったよ。

高キミ  自己採点でわかってただろ?

高マコ  キミヒコより少し悪かったから実際に見てみるまで不安だったんだよ。これで

    あの家を出ていける。

高キミ  良かったな! ……なぁ、アレ覚えてるか?

高マコ  アレって?

高キミ  俺の願い事を聞くってやつ。

高マコ  忘れた。頼むからこんなところで恥ずかしいことはさせないで。お願い。

高キミ  マコさぁ、どこから大学に通う気? 自宅からじゃないよな?

高マコ  一応、親戚の家から通う予定だけど。

高キミ  一応ってなんだよ。

高マコ  まだ話してない。親にバレたら邪魔されるから。

高キミ  ダメだったらどうするんだよ。

高マコ  あぁ、なんで私だけハードルが多すぎない?

高キミ  マコ、俺たち一緒に生活しないか?

高マコ  は? え? それはどういうことですか?

高キミ  バイト探すにしても住所が必要だろ。マコのハードル、俺が消してやるよ。

高マコ  ごめん。何言ってるかわかんない。

高キミ  俺が部屋を借りるから、マコも一緒に住まないかって言ってるんだよ。

高マコ  キミヒコのくせに何言ってんだよ。恥ずかしいなぁ。

高キミ  俺も恥ずかしいよ。

高マコ  それはその、あれか? 付き合うってことか?

高キミ  イヤか?

 

   高マコ固まる。

 

高キミ  イヤなら一緒に住むだけでいい。俺を利用すれば良い。俺はそれで構わない。

高マコ  嫌ではない。でも、良いのかな?

高キミ  何が?

高マコ  わかんない。何か頭の中が真っ白。

高キミ  とりあえず来週くらいには物件の下見に行こうぜ。

高マコ  うん。

 

   暗転。

 

   上手に秋本家。下手に本田家。

   自宅の電話を持って立つ高キミ。本田家に電話をかける。

   本田家の電話が鳴り、マコ母が出る。

 

マコ母  はい。本田でございます。

高キミ  もしもし、秋本と申しますがマコさん入らっしゃますでしょうか?

マコ母  おりません。(電話を切る)

 

   マコ母はすぐにその場をさろうとする。高キミもう一度電話をかける。

   マコ母、いまいましげに電話を取る。

 

マコ母  はい。本田でございます。

高キミ  すみません。僕はマコさんの同級生で秋本と申します。マコさんと出かける約

    束だったんですけどご存知ありませんか?

マコ母  ……あぁ、お前がうちの子をたぶらかした悪魔か。お前のせいで私たち家族は

    不幸になったんだ! 悪魔め! 地獄に落ちろ!

 

  激昂するマコ母の隣にマコ父がやってきて受話器を奪い取る。

  マコ母はマコ父の横で喚くのである。

 

マコ父  お前か。お前が娘を誘惑したんだな。お前さえいなければこんな事にならなか

    ったのに。

高キミ  何があったんですか? マコさんはどこにいるんですか?

マコ父  病院だ。意識がなくなって入院している。

マコ母  お前のせいで天罰が下ったんだよ! この悪魔!

マコ父  君、名前は?

高キミ  秋本です。秋本キミヒコです。

マコ父  そうか。住所を教えなさい。親御さんとも話をしたい。

高キミ  はい。アネガウラ3の2の12です。マコさんは無事なんですか?

マコ父  ……頭を強く打ったせいで今は植物状態だ。

高キミ  お見舞いに行っても……。

マコ父  お前は何を言ってるんだ! お前のせいで娘がこうなったんだぞ! ふざける

    な! とにかく君の親と話す。いいな?

高キミ  はい。

 

   マコ父、強く受話器を置く。同時に本田家の明かりが消える。

 

高キミ  俺のせいってどういうことだよ。マコ……。

 

   受話器を置く高キミ。同時に暗転。

 

   秋本家。高キミとキミヒコの父、秋本父が座り、高キミはうなだれている。

   その対面に佐田野とマコ父が座っている。

   秋本父の手元には佐田野の名刺とA4用紙の書類がある。

 

佐田野  ま、ここはですね。毎月の治療費をお支払いいただくことで穏便に解決をする

    というのが一番だと思うのですがね。いかがでしょうか? 秋本さん。

秋本父  100万ですか。入院費が月100万円?

マコ父  慰謝料と治療費も込みだ。それで娘の意識を取り戻す治療を受けさせるんだ。

    嫌なら裁判をしたって良いんだ。

秋本父  そちらのメチャクチャな理屈が通りますかね? この国は法治国家ですよ?

マコ父  今はそうかもな。

佐田野  まぁまぁ、落ち着いてお話をしましょう。

 

   佐田野、双方をなだめる。

 

佐田野  出せない金額ではないと思いますよ。それに、こんなことが世間に広まると事

    業の方にも影響が出ないとも限りませんし。私どもは日本中にネットワークがあ

    りますから、まぁそのねぇ。

秋本父  お話ですと、家の中で転倒されたそうですが、それがなぜうちのキヨヒコが原

    因なのでしょうか? こちらとしては納得できる説明が欲しいわけです。

マコ父  それは娘がコイツに誘惑されて信仰心を失ったからだ。

 

   秋本父は首を傾げる。が、別の思惑もあるので疑問は挟まない。

 

佐田野  断るのであればこちらにもそれ相応の対応というものがありますよ。

秋本父  出さないと言っているわけではないんですよ。そちらにはそちらの事情と考え

    方があるのでしょう。ただ月100万とはねぇ。ま、良いでしょう。お嬢さんの早

    い回復を願っていますよ。

 

   佐田野はA4用紙を指差す。

 

佐田野  では、振込先はそちらに書いてありますので。毎月10日頃にお忘れなく。

 

   佐田野とマコ父は秋本家を後にする。

 

秋本父  キミヒコ、金は出してやる。これからのことは全部お父さんに任せなさい。い

    いね?

高キミ  マコは治るのかな? 治らなかったらどうしよう。

秋本父  心配するな。お前はお父さんの出た大学に入ってしっかり学んでくるんだ。将

    来的にはお前が会社を引き継げばなんとかっていう子の治療費くらいどうとでも

    なるじゃないか。そうだろう?

高キミ  ……はい。

秋本父  しかし、嫌な連中だったな。てんたま教とか言ったか。国はあんな連中を野放

    しにして何をしてるんだか。

 

   秋本父、A4用紙を持って退場。高キミ残される。

 

高キミ  俺が、マコを支えるんだ。俺が。そのためには何でもやらなくちゃ。

 

   暗転。

 

第四場

   病室。ベッドに横たわる高マコ。

   その周囲でマコの両親と医師、佐田野が話をしている。

 

マコ母   娘はもう元には戻らないんですか?

医師    海外では20年ほどで意識が戻った事例もあり、希望はあります。

マコ父   記憶は? 記憶はどうなんだ? 目が冷めても覚えているのか?

医師    どうでしょう。頭を打った患者の多くは直前の記憶は失っていることがある

     とは思いますが。

佐田野   祈りましょう。医師に出来ることは医師に任せて、我々は真摯に神に祈り続

     けることが大事なのですよ。

マコ母   この子が悪いのよ。私達のことをバカにして祈りも活動にも参加しないで勉

     強なんかしてコソコソと男を作って大学になんか行こうとするからバチが当た

     ったのよ。

マコ父   そうだな。高校なんかに行かせるんじゃなかった。女の子に学歴なんか不要

     だったんだ。

佐田野   世の中には誘惑が多いのです。すべての誘惑はお金に通じ、誘惑にまみれた

     お金は人を苦しめるのです。不浄な存在であるお金を集めて偉大なる魂の下で

     浄化させることで世界は本当の幸せをつかむことが出来ます。

マコ父   はい。

マコ母   今すぐにでもあの親子の全財産を捧げてやりたいくらい。あの悪魔の親子の。

佐田野   吐き出させましょう。あれだけ業の深い汚れた親子です。長い時間がかかる

     でしょうが、すべてを吐き出させましょう。

マコ母   じゃあ、あとのことは病院に任せていいんですね?

医師    大丈夫です。すべてこちらがやりますので皆様の活動には支障はありません。

マコ母   良かった。この子のためにみんなが迷惑をするのよ。

マコ父   大丈夫だ。目が覚めたらこの子もきっと理解するだろう。今までのこともき

     っと悔い改めるさ。

 

   暗転。

 

第五場

   5年後。秋本家。まだ高キミ。

 

高キミ  お見合い? なんで?

秋本父  向こうの社長さんと気が合ってな。うちと向こうが合併すれば会社はもっと大

    きくなる。事業の幅も広がるんだ。

高キミ  それはわかるけど、だからって子供同士をくっつける必要なんて無いだろ。

秋本父  あるんだよ。誰がなのか分からない世の中なんだぞ? 親族で経営するのが一

    番なんだ。

高キミ  他人だろ。

秋本父  今はな。子供が生まれたら繋がりはずっと濃くなる。

高キミ  俺には、

秋本父  安心しろ。相手の社長さんは愛人にも理解がある。あの子の治療費くらい気に

    しないと言ってくれてる。

高キミ  父さん、

秋本父  キミヒコ、今この流れを掴まないと会社はダメになる。お前にもっと経営の才

    能があればこんなことをしなくても良かったが、残念なことにお前には経営の才

    能がない。それがどういうことかわかるな? 私がいなくなったら、あの子の治

    療費を支払うことができなくなるんだ。じゃあ、どうすればいいかわかるだろう?

高キミ  ……はい。全部父さんに任せます。

秋本父  それでいい。お前の良いところは人に任せることが出来るところだ。大丈夫。

    あと10年もすればお前は何もしなくても自動的に上手く回りだすさ。

 

   暗転。

 

アヤコ   別にあんたもあたしもお互いにスキってわけじゃないし、愛がなくてもいい

     じゃないの。愛人がいてもかまわないわ。パパはあんたとあたしの子供が出来

     ればそれでいいって言ってるんだからそれでいいでしょ? あたしたちの会社

     はあたしたちの子供がやってくれるわよ。でも、一つ良いかしら? あたしは

     正妻として愛人の3倍はお小遣いをもらうわね。当然、生活費は別。大丈夫だ

    って。パパとあんたんちのパパさんがいる間は何やっても平気よ。全部面倒を見

    てくれるわ。子供の教育だって完璧にやってくれるわよ。その後はあたしたちの

    子供があたしたちの面倒を見てくれるわ。だからあんたもあたしも頑張る必要な

    んて無いの。楽しめばいいのよ。一度きりの人生なんだもん。

 

   暗転。

   結婚式のざわめき。

   新郎新婦の顔出しパネルに高キミとアヤコ。

 

高キミ  これで良いんだろうか。

アヤコ  つまんない男。

 

   暗転。

   赤ん坊の鳴き声。

   夫婦の間に赤ちゃんがいる顔出しパネルに高キミとアヤコ。

 

高キミ  これで良いんだろうか。

アヤコ  つまんない男。

 

   暗転。

   小学校の卒業式のざわめき。

   小学校卒業式の顔出しパネル。

   アヤコのみでキミヒコのところは抜けたままか真っ黒。

 

アヤコ  タツヒコ、あんたはママの味方だよね。

 

   暗転。

   中学校の卒業式のざわめき。

   中学校の卒業式の顔出しパネル。

   アヤコのみでキミヒコのところは抜けたままか真っ黒。

 

アヤコ  タツヒコ、ママのパパを見習おうね。

 

   暗転。

   高校の卒業式のざわめき。

   高校の卒業式の顔出しパネル。タツヒコとアヤコのみ。

 

アヤコ  タツヒコ。あんたはお爺ちゃんの方に似てるから大丈夫。

タツヒコ ママは心配しすぎだよ。

 

   暗転。

   大学の卒業式のざわめき。

   大学の卒業式の顔出しパネル。タツヒコのみ。

   顔出しパネルを破壊して出てくる。

   背広だけど物腰はチンピラ。

 

   暗転。

 

第六場

   時代はマコが倒れてから30年が経ち現在へ。

 

   するとそこは病院のロビーに変わる。

   看護師がタツヒコを止めようと前に立ちはだかる。

   上手側に押していく間に暗がりの中、下手に病室が準備される。

 

看護師  面会は出来ません。

タツヒコ 面会じゃねえんだよ。親父の愛人をちょっと観察するだけなの。案内してよ。

看護師  面会は出来ません。

タツヒコ わかってんだって。本当は仮病なんだろ? そんな入院患者なんかいないんじゃねえのか? 違うってんだったら見せてみろよ! えぇ!

看護師  困ります。他の患者さんの迷惑にもなりますから。

タツヒコ ちょっと見せてくれれば済むんだよ。親父の愛人を息子のワタクシに見せてく

    ださいお願いします。

看護師  ですから……

タツヒコ ですからじゃねえんだよ。こっちは会社の金を使われて困ってんだよ。警察でも連れてくりゃ良いのか? おい!

 

   医師が出てくる。

 

医師   私が変わりましょう。君は行って。

看護師  はい。失礼します。

タツヒコ ほんと失礼なやつ。おう、親父の愛人に会わせろ。

医師   患者さんの名前は?

タツヒコ 知らねえよ。なんか植物になったやつがいんだろ。そいつを出せ。連れてこい。

医師   たしかに植物状態の患者さんはいる。だが、病室から出すことは出来ない。

タツヒコ へぇ、本当にいるんだ。見られないの?

医師   面会謝絶ですから。

タツヒコ 面会じゃなくて良いんだよ。ちらっと見られればそれでいい。ダメなら本当に

    弁護士か警察を連れてくるけど、どうする? なぁ?

医師   私どもはそれでも構いませんけど。

タツヒコ 俺は構う。親父が会社の金で愛人をここに囲ってるんだとしたら横領の証拠だ

    からな。そういやここなんとかって宗教の施設だっけ?

医師   ここは病院です。一般の人も入れる。

タツヒコ オーケーオーケー。何事も穏便に、先人の知恵だよな。あんたたちの神様に寄

    付をしよう。それでいいだろ?

 

   佐田野が割り込んでくる。

 

佐田野  ワタクシがお話を承りましょうか。面会希望だということですね。

タツヒコ 話がわかるやつがいてよかった。

佐田野  佐田野と申します。

タツヒコ 俺の会社でさ、社長が使い込みをしてるって噂があってね。次期社長としては

    これを見逃すことが出来ないわけよ。爺さんの代では良かったことでも世代交代

    が起これば組織も変わるだろ?

佐田野  そういうこともあるのかもしれませんね。

タツヒコ 月に100万もの金を30年も突っ込んできたわけだ。4億近いぜ。とんでも

    ない額だ。まず本当にそんな患者がいるのか知りたい。どっちにしても使い込み

    は事実だから親父は責任を取って辞めてもらうけど、患者がいなかった場合は病

    院にも4億の返還を求めるつもりだ。もしかしたらもっと大事になるかもしれな

    いがそれはそっちの都合だろうからこっちはタッチしない。親父の愛人を見せて

    くれるんだったら訴訟はしない。今年度分までは寄付って形で支払っても良い。

佐田野  なるほど。患者さんはいらっしゃいます。見るだけならお見せすることも可能

    ですよね?

医師   可能ですが、何の反応もありませんよ?

タツヒコ いるかいないかを確かめるだけでいい。それでこの件は終わりだ。

佐田野  結構です。そうしましょう。そのように手配して。

タツヒコ はい。

 

   医師、立ち去る。

 

タツヒコ 本当の入院費っていくらくらいなんだ?

佐田野  さぁ、ワタクシ病院関係者ではありませんので。

タツヒコ あ、そうなんだ。

佐田野  はい。

 

   医師が戻ってくる。

 

医師   準備ができました。遠くから見るだけですよ。

 

   医師に案内されて舞台中央まで向かう。

   病室のベッドの上には30年の時を経たマコが眠っている。

 

タツヒコ 嘘だろ。あれが親父の愛人? あんな貧乏くさいオバさんが? マジかよ。

 

   タツヒコ。言いようのないおかしさがこみ上げてくる。

タツヒコ マジかよ……。あんなオバさんのせいでママは出ていったのかよ。

 

   しばらくうつむくが決心したように顔を上げる。

 

タツヒコ わかった。今年の分、つまり残り2ヶ月分は支払ってやる。それまでには決着

    をつける。あとは親父の方にでも請求すればいい。俺の会社とは関係がない。い

    いな?

佐田野  わかりました。

 

   タツヒコ、振り返ることもなく病院を去っていく。

 

佐田野  家族に連絡をして病院に来るように伝えなさい。

医師   はい。

 

   医師が去る。

 

   暗転。

 

   上手に病院内相談室。

   マコの両親と医師、佐田野がやってくる。

 

佐田野  本田さん。残念なお知らせですが、ついに悪魔が最終手段を打ってきました。

マコ父  娘の具合が悪くなったんですか?

佐田野  いいえ。加害者を切り捨てることで会社を存続する方法を選んだのです。

マコ母  それはつまり?

佐田野  毎月の100万円の献金を失うことになります。

マコ父  それじゃあ娘はどうなるんですか!

マコ母  私たちだって必死に捧げてるんですよ! これ以上あの子のためになにかして

    やるなんて出来ないわ!

佐田野  ですから残念なお知らせと申し上げたのです。

マコ父  あの男は? あの男はどうしたんだ! 全部アイツのせいじゃないか!

マコ母  そうよ! その子をダメにしたあの男は何をしてるのよ!

佐田野  あの男にも罰が与えられますが、前ほどの要求は難しいでしょうね。このあと

    は慰謝料を請求するだけにしたほうが良いかもしれません。

マコ母  そうね! そうよ! 慰謝料を請求しましょう!

マコ父  ああ、そうだな。

医師   では、治療は中止ということでよろしいですか?

マコ母  中止?

医師   はい。機械を停止しますがよろしいですね。

マコ父  機械を停止すると娘はどうなるんですか?

医師   ゆっくりと眠るように亡くなります。

マコ父  眠るように死ぬんじゃ今と何も変わらないじゃないか。

マコ母  やっと死ぬんですか? あの子はようやく本当に死ねるんですか?

佐田野  あなた達も苦しかったですよね。この30年間、ずっと耐えてきたのですよね。

    よく頑張りました。あの日、ワタクシに連絡をしてきたあの日のことをワタクシ

    は昨日のことのように覚えていますよ。

 

   舞台の明かりが落ち、中央に高マコが立つ。

 

高マコ  お祖母ちゃんからもらったバッグがないんだけどどこかにやったの?

マコ母  お前はどうしてそんなに悪い子に育ったんだろうね。親に隠し事なんて悪魔の

    することだよ。神様に許しを請うて反省をしなさい。

高マコ  ねぇ、あのお金は私の未来だったのに、どこにやったのよ。

マコ父  女の子は大学になんか行かなくて良いんだ。

高マコ  ふざけてないで答えてよ。ねぇ、叔父さんや叔母さん、お祖父ちゃんやお祖母

    ちゃんを説得してやっと出してもらえたお金なのよ?

マコ母  お前が献金をしないのが悪いんだ!

高マコ  献金献金ってバカじゃないの! 誰も救われてないし、誰も幸せになってない

    じゃないの! 朝から晩までこき使われて生活は苦しいまんま、友達だって出来

    やしない! 私はあんたたちみたいなバカにはなりたくないのよ!

マコ父  悪魔だ! 娘に悪魔が取り付いた! マコ、そこに座りなさい! 悪魔を追い

    出してやる!

 

   マコ父、体罰棒を手にする。

 

高マコ  殴るの? 殴ればいいじゃん。そんなもので私が従うと思ったら大間違いなの

    よ! 本当の悪魔はあんたたちよ! あんたたちこそ悪魔なのよ! 私の未来を

    返してよ!

マコ父  悪魔よ去れ! 悪魔よ去れ! 悪魔よ去れ!

 

   マコ父、高マコを何度も殴りつける。

   徐々にスローモーションになり、ある意味ダンスの振付のように見える。

   マコ母も高マコを押さえつけようとしもみ合ううちに、マコ父の振るった体罰棒が

   高マコのこめかみにヒットする。

   瞬間、時間の流れが戻り、糸が切れた人形のように高マコは床に倒れ込む。

 

マコ父  マコ? マコ! しっかりするんだ!

マコ母  やったの? 悪魔に勝ったの?

マコ父  マコが戻ってこない。マコが戻ってこない!

マコ母  佐田野さんを呼びましょう!

マコ父  そうだ。佐田野さんだ。

 

   暗転。

 

   佐田野が高マコの首に触り脈を測る。

 

佐田野  大丈夫。娘さんは生きていますよ。良かったですねぇ。神様のおかげですね。

    さあ、救急車を呼びましょう。いや、直接てんたま総合医療センターへ送ったほ

    うが良さそうですね。手配します。本田さん。その体罰棒お預かりしましょうか。

 

   マコ父、体罰棒を佐田野に渡す。

 

   暗転。

   暗転中に高マコが体罰棒を回収して退場。

   明かりがつくとマコの両親が立ち尽くし、高マコが倒れていたところをじっと

   見ている。佐田野は相談室の椅子に戻っている。

 

佐田野  本田さん。

 

   マコの両親は声をかけられてビクリとする。

 

   マコの病室に明かりが灯る。

   マコが目を開ける。マコは朦朧とした中、首を横に降って場所を確認する。

   機械の計器が光り、看護師が入ってくる。

   マコが意識を取り戻していることに気が付き、慌てて病室を出ていく。

   移動は裏を回るくらいがちょうどいいかも。

   マコはぼーっと虚空を眺めている。

 

佐田野  同意書にサインを。

マコ父  私たちだって努力したんだ。

マコ母  私たちだって努力したわね。

マコ父  あの子が悪いんだ。

マコ母  あの子が悪かったのよ。

 

   席に戻り同意書にサインをしようとしたところに看護師が飛び込んでくる。

 

看護師  先生! 本田マコさんが目を覚ましました! 意識が戻ったみたいです。

佐田野  祈りがようやく通じましたね。

 

   医師が病室に向かう。当然、看護師が通ったルートで。

   両親には喜びがなく怯えに似た空気がある。

 

佐田野  さあ、私たちも行きましょう。

 

   佐田野に促されてマコの両親も病室へ向かう。看護師の通ったルートで。

 

   誰もいなくなり上手の明かりが消えると下手の病室の明かりが強くなる。

 

   病室に医師と看護師が入ってくる。

 

医師   本田さん。分かりますかー? ここは病院ですよー。何があったか覚えていま

    すかー?

 

   意識の確認が行われる。小刻みに頷いていたマコがゆっくりと頷くようになる。

   喉が渇いているのですぐに喋り出すことはない。

 

看護師  お水ですよ。ゆっくり飲んでくださいね。

 

   マコの両親が病室に入ってくる。ちょっと挙動不審。

   その両親の姿を見てマコは手を伸ばす。

   かすれている声が出る。聞こえなくてもいい。

 

マコ   お母さん、お父さん?

 

   呼びかけられてもマコの両親には感動がない。

 

マコ   なんか老けた?

 

   マコ自分の手が張りを失っていることに気がつき、ぎょっとする。

 

マコ   これ、私の手じゃない! 私の手じゃない!

 

   起き上がろうとするマコを医師が抑える。

 

医師   鎮静剤! 鎮静剤!

看護師  はい!

 

   看護師が病室から駆け出していくところで暗転。

   再び明かりがつくと病室にはマコが一人で眠っている。

 

   暗転。

   上手に病院相談室。医師と親が座っている。

 

医師   本人には倒れたのは昨日のことのようだったでしょうしそこから30年経って

    いるとなれば多少混乱をするでしょう。時間が経てば受け入れられるはずです。

    30年待ったのですからきっと大丈夫ですよ。

 

   暗転。

   舞台の下手前方でスマートフォンで電話をかけるキミヒコ。

   上手前方に本田家の家電が現れて鳴る。マコ母が出る。

 

マコ母  はい。本田でございます。

キミヒコ 秋本と申します。治療費の件でご連絡を差し上げました。実は……、

マコ母  ああ、お前か。会社を解雇されたそうだな。大丈夫なのか?

キミヒコ はい。すぐに再就職をしたので金額は減りますが振込はします。

マコ母  本当に悪いんだと思っているなら今まで通りに払ったらどうなのかねぇ?

キミヒコ ええ、そのつもりでおりますので足りない分については後日きちんとお支払い

    しますので、

マコ母  お前みたいないい加減なやつがいるから世界は悪魔に支配されるんだ。神様に

    許しを請うて反省しろ!

 

   電話を切るマコ母。電話が切れると上手明かりも消える。

   キミヒコ肩を落として立ち去る。

 

   暗転。

   病室。体を起こすマコ。

 

   暗転。

   病院相談室にマコ両親と医師。

 

医師   どうも倒れる前の記憶が特に無いようですね。逆に高校生になるくらいの頃の

    記憶までははっきりしています。友達などに会えばより鮮明に記憶が戻るかもし

    れません。教団にお友達はいましたか?

マコ父  記憶がない? 倒れた時の記憶がないんですか?

医師   ええ、ですので当時の仲間に会えば記憶を取り戻せるかもしれません。

マコ母  あの子、活動には不真面目でほとんど参加もしないでいましたし、教団には友

    達はいなかったと思います。

マコ父  仲間に会うと記憶は戻るんでしょうか? 完全に?

医師   まぁ、それは難しいかもしれませんね。なにかきっかけがあれば可能なのでし

    ょうけど、それもなかなか症例も少ないので断言はできません。

マコ父  きっかけ。

マコ母  いつ頃退院できますか?

医師、  体は無事なようなのでもう大丈夫です。新しい年はご自宅で迎えられますよ。

 

   医師が離れていくとマコ父は喜ぶ。

 

マコ父  やっぱり娘には悪魔が取り付いていたんだ。

マコ母  あの男! あの男が悪魔だったんだわ!

マコ父  ああそうに違いない。やっぱりあの男のせいだ。

マコ母  今後はあの子に絶対に近づけさせないようにしないと。

 

   暗転。

   マコの部屋は簡素で飾り気もない。病室と大して変わりがない。

   書籍を置く場合はすべて教団関係の本になる。

   教科書や小説、漫画などは全て捨てられている。

   位置を変えたほうが場所が変わったことがわかりやすいので上手に移動。

   マコはベッドに横になっている。マコ母がやって来る。

 

マコ母  あら、起きてたの?

マコ   うん。

マコ母  もう少し元気になったらお仕事を始めないとね。

マコ   仕事?

マコ母  ええ。あなたは治ったんだから、魂をきれいにするためにお仕事をして心の汚

    れを出すのよ。

マコ   心の汚れ……。

マコ母  そう。心の汚れをお金に変えて、それを神様にお渡しするの。そうすると私た

    ちの心はどんどんきれいになっていくのよ。

マコ   ねえ、お母さん。私はなんでこんなに年を取ってるの? 別の人みたい。

マコ母  悪魔がお前に悪さをしてずっと眠らせていたからよ。

マコ   体だってすごく疲れてる。

マコ母  それはずっと寝ていたせいよ。起き上がって動き出せばすぐにお母さんみたい

    に元気になれるわ。

マコ   私、なにか悪いことをしたのかな?

マコ母  いいえ。お前は悪くないの。お前のことを騙した悪魔がいるのよ。全部その悪

    魔のせいなのよ。

マコ   誰よそいつ。絶対に許せない。なんで私がこんな目に合わなきゃいけないのよ。

マコ母  本当にねぇ。でも、もう関わらなきゃ良いんだから大丈夫よ。お母さんたちが

    お前を守ってあげるよ。

マコ   お母さん、ありがとう。

マコ母  さぁ、早く元気になって魂をきれいにしなきゃね。

マコ   うん。

 

   暗転。

   立ち上がっておぼつかない足取りで部屋を歩き回るマコ。

   時々ベッドに手をついては休む。ふと、思い出す。

 

マコ   お母さん、学校の教科書は?

 

   マコの呼びかけに反応がない。

 

マコ   お仕事か。

 

   部屋の中をウロウロする。

 

マコ   あ、そうか。もう学校に行かなくて良いのか。

 

   ベッドに座ったり、横になったり時間をつぶす。

   照明が薄暗くなり、マコ母が帰宅した音がする。

   しばらくしてマコの部屋に入ってくる。

 

マコ母  ただいま。マコのお仕事決まったわよ!

マコ   おかえり。

マコ母  喜んで、お仕事が決まったのよ!

マコ   うん。

マコ母  教区の榊原さんが見つけてくれたのよ。お前にぴったりだと思うわ。

マコ   うん。

マコ母  何だと思う? ふふふ、お弁当屋さんよ。信者の人じゃないけど良い人だそう

    だわ。

マコ   うん。

マコ母  良かったわね! 嬉しいでしょ?

マコ   うん。

マコ母  喜んでくれてお母さんも嬉しいわ。お母さんこれから教区の会合に出るけどあ

    なたも来る?

マコ   いい。まだ体がだるいから。

マコ母  そんなの会合に出れば治るわよ。

マコ   人に会いたくない。

マコ母  しょうがない子ね。お母さん出かけるけど誰か来ても出なくていいからね。

マコ   うん。

マコ母  絶対に出ちゃダメよ。

 

   マコ母が退場して暗転。

 

第七場

   マコ弁当屋で働き始める。弁当屋店員スガイ(仮名。名前はなんでも良い)

   スガイ、奥にいるマコに呼びかける。

 

スガイ  本田さん。悪いんだけどそっちが終わったら在庫チェックお願い。

マコ   はい。

スガイ  最近目が悪くなってさぁ、近くのものが全然分かんないの。だったら老眼鏡か

    ければいいとか思うじゃない? でもねぇそれは拒否したいのよねぇ。なんて言

    うか意地っていうか負けず嫌いっていうのか。

マコ   冷蔵庫の中ですか?

スガイ  うん。あんたさぁ、物覚えが良くて助かるよ。

マコ   いえ。

 

   マコ冷蔵庫の中を見て点検用紙に書き込む。

   スガイはそれを見て休憩してお茶を飲む。。

 

スガイ  あんたいくつだっけ?

マコ   じゅう……、あ、いや48です。

スガイ  48かぁ。あたしより少し下だねぇ。少しっていうかまぁ、少しね。子どもは? 

    うちは3人。孫もいるけどね。あんたんところは?

マコ   子どもはいません。

スガイ  ふーん。結婚はしてんだろ? あたしん所はもう早くに亡くなっちゃてるけど

    ね。働きすぎだったのかねぇ。この弁当や残して逝ったのよ。で、旦那はどんな

    人? 何してる人よ?

マコ   してません。

スガイ  まぁ、あんた地味そうだもんね。

マコ   ずっと意識がなかったんです。30年間。

スガイ  えー、あ、そうなの? 30年も意識がなかったの?! へー。48っていう

    と18からかい? あらまぁ、人生の輝いてるところを意識がなかったのかい。

    それは辛かっただろ? 

マコ   辛いっていうか気が付いたら自分の体が変わってしまっていてすごくがっかり

    しました。

スガイ  そうだろうねぇ。若いって良いもんねぇ。何が良いって元気の量が違うんだよ

    ねぇ。

マコ   世の中もあんまり変わってなくてそれもがっかりしました。

スガイ  本当? すごく変わった気がするどね。昔は携帯もなかったわけだし。

マコ   うちの家、まだ持たせてくれないんですよ。

スガイ  あらま。じゃあ、お給料ためて買うのかい? アレは便利だよ。持つまでは面

    倒かなって思ってるんだけど使ったら最後、持ってないと不安になっちゃう。

マコ   お金は親が受け取るんで多分私は持たないです。

スガイ  へー、偉いもんだねぇ。

マコ   やりたいこともないし、欲しい物もないから。

スガイ  あんたそりゃダメだよ。30年も眠ってたのは可愛そうだけど、それでやる気

    を無くしたらこれからの自分が可愛そうだ。

マコ   ……そうですね。

 

   作業着姿のキミヒコが入ってくる。マコは点検に集中して全く気が付かない。

 

キミヒコ こんにちはー。

スガイ  はーい。いらっしゃいませ~。

マコ   いらっしゃいませ~。

キミヒコ マツイなんですけど、来週の日曜に30人分お願いできますか?

スガイ  はいはい、マツイさんね。いつもありがとうね。わかりましたよ。日曜日に3

    0人ね。今度は何やるの?

キミヒコ 社長が地域にサッカー熱を取り戻すんだって意気込んでて、子どもサッカー教

    室を開くそうなんですよ。もしかしたら毎週になるかも。

スガイ  あら、そうだと良いね。毎週やりなさいよ。

キミヒコ 社長に言っておきますよ。

スガイ  はーい。よろしくねー。

 

   キミヒコ、去っていく。

 

スガイ  あんた日曜日の朝出られる?

マコ   はい、出ます。家にいてもやることもないので。

スガイ  でかけても良いんだよ?

マコ   はい。でも、今は大丈夫です。

 

   スガイが不意にすりこぎ棒を手に取るとマコが頭をかばう。

 

スガイ  何? 殴ったりしないよ。こう見えてもあたしすんごく優しいんだから。これ

    から胡麻をするだけだよ。あぁ、そのあとほうれん草を半殺しにするけど。

マコ   すみません。なんでだろう。

 

   マコ、頭痛がしてこめかみに触れる。

   スガイ、すりこぎ棒を振り上げる。マコ、身をすくめる。

 

スガイ  あんたさぁ、虐待でも受けてたの?

マコ   すみません。覚えてません。

スガイ  まぁ、驚かせちゃったね。ごめんよ。

マコ   大丈夫です。びっくりしただけですから。

 

   暗転。

   日曜日。

   お弁当が入ったダンボールが奥に置かれている。

 

スガイ  ちょっと橋本さんちに届け物してくるから、マツイさんが取りに来たらそれ(ダ

    ンボール)の中を確認してもらって持っていってもらってね。お題はもらってあ

    るから。それからご飯がもうじき炊けるから、

マコ   すぐ起こします。

スガイ  最優先でね。うちは米で勝負してるんだからね。

 

   ご飯が炊ける。キミヒコが来る。

   炊けたご飯はすぐご飯を起こさないとスガイに怒られるので、マコは奥から声をか

   ける。

 

キミヒコ こんにちはー、マツイなんですけど出来てますかー?

マコ   はーい。いらっしゃいませ~! そこに置いてありますので箱の中を確認して

    くださーい。

キミヒコ はい、じゃあ失礼しますね。

 

   キミヒコ、店の奥に入っていく。

 

マコ   お弁当の縁、指を切りやすいから気をつけてくださいね。

キミヒコ いて!

マコ   あ、

キミヒコ 指が少し切れた。

マコ   大丈夫ですか?

キミヒコ 大丈夫大丈夫。

マコ   見せてください。

キミヒコ 大丈夫ですよ。

マコ   良いから見せて。血が出てるじゃないですか。すぐ洗わないと。

キミヒコ 大丈夫ですって。

マコ   良いからこっちに来て傷口を洗って。

キミヒコ あれ? なんか、

マコ   なんですか?

キミヒコ デジャヴュが、

マコ   デジャ?

 

   絆創膏を探して貼ってやる。

 

キミヒコ 既視感。いわゆるあれ? これ、前にも見たことがあるなってやつです。

マコ   はい。絆創膏貼ったんで、もう大丈夫ですよ。

キミヒコ どうも。

マコ   お弁当全部ありました?

キミヒコ 途中でした。

 

   キミヒコ、弁当を数える。マコはその作業を見つめる。

 

キミヒコ ハイあります。じゃあ、また来週もお願いします。

マコ   はい。ご苦労様でした。

 

   キミヒコ弁当の入ったダンボールを持って店を出る。店の外でマコを振り返る。

   マコがお辞儀をするとキミヒコは首を傾げながら退場。

 

マコ   マツイって知り合いいたかなぁ。

 

   お釜の蓋が開けっ放しに気がつく。

 

マコ   あ、いけない!

 

   暗転。

   本田家自宅前。キミヒコが厚めの封筒を持ってやってくる。マコ父が対応、

 

キミヒコ 足りない分はまたお持ちします。

 

   差し出された封筒をひったくるようにして奪うマコ父。

   遠くからマコが帰ってくるので後でキミヒコと入れ違いになる。

 

マコ父  いちいち来られても困るんだ。振込でいいだろ振込で。

キミヒコ それだとこちらの誠意が伝わりませんので。

マコ父  すでに迷惑だと言っている。振込にしろ。

キミヒコ はい。振込先はどちらに?

マコ父  ちょっと待ってろ。

 

   マコ父家の中に入り、メモ用紙を取りに行く。

   マコ、キミヒコに気が付き物陰に隠れる。

 

マコ   マツイさんだ。うちに何の用だろう?

 

   マコ父、振込先の書かれたメモ用紙を持ってきて押し付けるようにキミヒコに渡す。

   キミヒコが去ると、マコが入れ違いに入ってくる。

 

マコ   ただいま。

マコ父  なんだ帰ってきたのか。

マコ   お父さん、今の人知り合いなの?

マコ父  お前には関係ない。

マコ   え、でも、あの人……、

マコ父  あの男のことは忘れろ!

マコ   ……はい。

 

   暗転。

   弁当屋。日曜日。

   キミヒコ弁当を確認する。

 

スガイ  どう? 続きそう?

キミヒコ 微妙です。このあたり男の子が少ないみたいだから。

スガイ  だったら女の子も集めなよ。なんとかって女の子の日本代表チームあるじゃな

    いの。なーなーなー、なんとか。

キミヒコ なんとかってなでしこですか?

スガイ  それ。

 

   マコがソワソワしてる。

 

マコ   お弁当全部ありました?

キミヒコ 全部ありました。

マコ   あの、

キミヒコ はい?

マコ   マツイさんってお父さんと何かあったんですか?

 

   ご飯が炊ける。

 

スガイ  本田さん! ご飯! ご飯!

マコ   はい!

 

   マコ、ご飯のお釜に走る。

 

キミヒコ 本田? やっぱ……

スガイ  ほら、あんたもさっさと弁当を届ける! 社長の機嫌を損ねたらダメなんだ

    ろ!

キミヒコ はい!

 

   スガイ、マコの方へ歩いて行く。

 

スガイ  あんまり感心しないね。

マコ   え? あ、すみません。

スガイ  お客様の家の詮索なんてするもんじゃないよ。

マコ   いえ、マツイさんとうちの父がちょっと口論みたいなのをしてたんで。

スガイ  マツイの社長とあんたんちの父親が? なんで揉めてるの?

マコ   それを聞こうと思って。

スガイ  あのねえ、だったらそれを従業員に聞いてどうするんだよ。

マコ   お弁当を取りに来てるあの人がマツイさんじゃないんですか?。

スガイ  あぁ、あれは違うよ。マツイの社長じゃない。従業員だよ。従業員。なんとか

    って人。

マコ   そうなんですね。そうなんだ。

スガイ  あの男があんたの家に来てたの?

マコ   はい。

スガイ  なにしに?

マコ   それが知りたくて。

スガイ  あんたの父親はなんて?

マコ   あの男のことは忘れろ! って。

スガイ  それは気になるねぇ。あんたは知らないの?

マコ   全然。でも、何か知っているような気もするんです。

スガイ  あらあらあら。

マコ   でも、マツイって名前には心当たりがなくて。

スガイ  そりゃあ、マツイさんじゃないからねぇ。

 

   スガイ、手を打つ。

 

スガイ  よしわかった。あたしが今度名前を聞いてやるよ。それで良いね?

マコ   あ、いや、でも、

スガイ  じれったいねぇ、良い年した女がもじもじするんじゃないよ。あぁ、こういう

    言い方はダメだね。怒られちゃうわ。昔っから女は度胸って言うだろ!

マコ   ……はい。よろしくお願いします!

 

   暗転。

   弁当屋。日曜日。

 

スガイ  あのさぁ、今更突然で悪いんだけどあんた名前なんだっけ?

キミヒコ え?

スガイ  わかる! そんなに親しくもないもんね。でも、ちょっと気になってさ。

キミヒコ 私の名前がですか?

スガイ  そう、そうなの!

 

   何かしらの予感か期待があるのかキミヒコは奥にいるマコを見つめて名前を言う。

 

キミヒコ 秋本キミヒコです。

スガイ  あき、アキヒコ?

キミヒコ 秋本、

スガイ  あきもと

キミヒコ キミヒコです。

スガイ  キミヒコです。

 

   スガイ、マコを振り返る。

 

スガイ  本田さん! どう! 知ってる?

 

   マコ、ゆっくりと首を横に振る。

   キミヒコ、身を乗り出す。

 

キミヒコ 下の名前は? あなたの下の名前はひょっとしてマコじゃないですか?

スガイ  いいえ。エミです。スガイエミ。みんなはエミちゃんって呼んでくれるよ。

キミヒコ あなたじゃなくて、あぁ、ごめんなさい。

マコ   マコです。本田マコです。あなたは誰なんですか? なんでうちの父と言い合

    いをしていたんですか?

キミヒコ あぁ、やっぱり。やっぱりそうか。良かったぁ……。良かった。

 

   キミヒコは座り込む。

 

スガイ  ちっとも良くないよ。説明をしなさいよ。

キミヒコ 彼女が僕の知っている本田マコなら、30年もずっと意識が戻らなかった本田

    マコなんです。半年前に僕が会社を解雇されて入院費がほとんど支払えなくなっ

    たとき彼女の両親に連絡をしたんですけどその時になにかおかしさを感じたんで

    す。もしかしたら何か良くないことがあったんじゃないかって。そう思って、最

    近、お金を持っていく用事を作って彼女の自宅を訪ねてみたんです。なにかわか

    るかもって。

スガイ  なるほど、あんたのせいでうちのあの子はずっと意識不明だったってわけか

    い? とんでもない悪党が近くにいたんだね。

キミヒコ 違うんです。彼女は30年前に自宅で倒れて頭を打ったと聞かされました。

スガイ  だからあんたを覚えていないって? そんなあんたに都合のいい話ないだろ

    うよ? この子の記憶が無いっていうんだったら、それはあんたのせいじゃない

    のかい?

キミヒコ 僕たちは春から同じ大学に進むはずでした。一緒に暮らすって。

スガイ  えぇ、なんだい。あんたたち付き合ってたのかい?

マコ   ……違う。

スガイ  違うって? じゃあ、コイツはやっぱりストーカーか何かかい?

キミヒコ 違います違います!

スガイ  とりあえずそこに座りな! 白状させてやる!

 

   スガイ、キミヒコに向かってすりこぎ棒を手に取り振り上げる。

 

マコ   あ。痛い!

 

   マコ、立ちくらみ床に座り込む。こめかみを押さえている。

 

キミヒコ マコ!

スガイ  へ? 当たった? 当たってないよね? 大丈夫?

マコ   大丈夫です。……思い出した。キミヒコ、思い出したよ。

キミヒコ マコ!

マコ   あの日さぁ……。合格発表の後、お婆ちゃんちに行って入学金を受け取ったん

    だ。月曜に手続きしようと思ってさ。そうしたら土曜のうちにカバンごと親に持

    っていかれててさ、夜に親を責めたんだった。笑っちゃうよね。あの親、子ども

    の人生を何だと思ってんだか。親戚やお祖父ちゃんお祖母ちゃんたちから借りて

    集めたお金を勝手に寄付したんだよ。私は親を責めた。そうしたらお父さんが私

    に悪魔が取り付いたって言って棒で私を殴ったんだ。それからは何もない。

 

   マコはこめかみを抑えたまま怒りに燃える。

 

マコ   あとは目が覚めるまで何もなかった。見舞いもほとんどなかった気がする。

スガイ  意識がなかったんだろ?

マコ   はい。でも、なんか聞こえてたりするときもあって……。キミヒコ、キミヒコ

    も見舞い来てくれなかったんだよね……。

キミヒコ ごめん。

マコ   何してたの? 私のハードル消すんじゃなかったの?

キミヒコ ごめん。

 

   少し長い間。マコはキミヒコをにらみつける。キミヒコはそれを受け止める。

   マコは泣きそうになって睨むのをやめる。

 

マコ   もう帰って。親もあんたも信用できない。

キミヒコ マコ……。

マコ   帰ってよ! 私のことなんてもう放って置いてよ!

 

   キミヒコ、スガイから弁当の入ったダンボールを渡されて気落ちしたまま出ていく。

 

スガイ  ちょっと、あの言い方は……、

マコ   いいんです。

スガイ  あんた……。

マコ   ……いいんです。もういいんです。

 

   スガイ、軽くため息。

 

スガイ  それでこれからどうするの?

マコ   忘れます。キミヒコにだって人生があるんだから。

スガイ  そうじゃなくて、あんなこと思い出したならもう家には帰れないでしょ。だっ

    てそうでしょ? 父親に棒で頭を殴られてさぁ、あんた死んでてもおかしくなか

    ったのよ。そんなうちに帰って今までと同じように暮らせると思ってるの?

マコ   ……そうですね。あぁそうか。帰るところもなくなっちゃった。

スガイ  まったく。……弁当屋の二階は一応空いてるよ。一人ぐらい寝泊まりしたって

    誰も文句を言わない。

マコ   スガイさん。

スガイ  あたしは息子の家に一緒に住んでるから気にしなくて良い。あ、でも、家賃は

    もらうよ。あと条件もある。

マコ   ありがとうございます。どんな条件でも構いません。

スガイ  じゃあさ、さっきの男にお礼を言ってくるんだね。あんたが眠ってたときの入

    院費を払ってくれてたんだろ? その礼も言わないなんてそんな不義理な人間は

    ここにおいておきたくないからね。ほら、今から行ってきな!

マコ   でも、どこに行けばいいのか。

スガイ  この辺でサッカーが出来るなんて河川敷のグラウンドしか無いよ。ほらグズグ

    ズしてないでさっさと行くんだよ。エプロンなんか外していくんだよ。もう、じ

    れったいねぇ。

マコ   すみません。

 

   マコ、エプロンを外して外にかけていく。

 

スガイ  良いねぇ。……あたしもまだ行けるかしら。

 

   暗転。

 

第八場

   河川敷のグラウンドを見下ろす土手にキミヒコが座っている。

   子どもたちのサッカーを見ている。

   後ろからマコが近づいて来てキミヒコの後ろに立つ。

 

マコ   サッカーって、ルールわかんないんだよね。楽しいのかな?

キミヒコ ……楽しいんだと思う。

マコ   あら、あなたもわからない口ですか。

キミヒコ 中学の頃、昼休みにみんなでやったけどそっちは楽しかったなぁ。

マコ   隣、いい?

キミヒコ どうぞ。

マコ   ありがとね。

キミヒコ ん?

マコ   入院のお金払ってくれてたんでしょ? 30年も。

キミヒコ 親父の会社がね。俺はそれが止まらないようにしてただけ。

マコ   そう。でも、ありがとう。

キミヒコ ……俺には資格が無いんだろうな。

マコ   資格?

キミヒコ マコの隣にいる資格。この30年で何度もマコを裏切ったわけだし。

マコ   そうなの?

キミヒコ 結婚もしたし、子どももいる。

マコ   それはまぁ、しょうがないよね。長いもんねー30年って。

キミヒコ しょうがなかったのかなぁ。

マコ   奥さんはどんな人?

キミヒコ あんまり知らない。一緒に生活した時間も短いし、親父の会社の合併先の社長

    の娘だったから向こうもこっちには興味がなかったみたいだしね。今はどこで何

    やってるんだか。

マコ   そうなんだ。子どもがいるって言わなかった?

キミヒコ 一人ね。

マコ   名前は?

キミヒコ タツヒコ。

マコ   タツヒコくんはいくつ? 何してるの?

キミヒコ 25か6くらいかな。会社から俺を追い出して社長をしてるよ。

マコ   ひょっとして嫌われてるの?

キミヒコ 憎まれてる。あいつは俺の親父みたいな父親の方が欲しかったんだろうなぁ。

マコ   水と油か。

キミヒコ もしくは俺が向き合わなかったか。

マコ   じゃあ、仲直りすれば?

キミヒコ どうかな。あいつはそんなこと望んでいない気がする。どっちかって言えば俺

    をとことん痛めつけてやりたいと思ってるかもしれない。

マコ   親子って難しいんだね。

キミヒコ 俺たち親子が特殊なんだよ。って思いたいなぁ。

マコ   息子さんにもお礼を言ったほうが良いのかもな。

キミヒコ いらないよ。

マコ   いるよ。私、礼儀には厳しいので。

キミヒコ それ、初めて聞いた。

マコ   じゃないとお弁当屋さんに置いてもらえないしね。

キミヒコ 礼儀関係ないな。弁当屋、また行っても良い?

マコ   奥さんいるんでしょ?

キミヒコ 離婚してる。

マコ   あ、そう。まぁ、お客さんだからね。好きなときに来れば良いんじゃないかな。

キミヒコ わかった。そうする。

マコ   タツヒコくんに連絡しておいてよ。

キミヒコ なんで?

マコ   お礼を言うからに決まってるでしょ。

キミヒコ そんなのいいのに。

マコ   いいからいいから、頼んだよ。そいじゃ、行くね。

 

   マコ、立ち上がる。キミヒコも立ち上がる。

 

キミヒコ マコ、俺……、

マコ   私はさぁ、浦島太郎なんだよね。いろんなことを受け入れるにはまだまだ時間

    がかかると思うんだ。だからさぁ、その……、

キミヒコ わかった。

マコ   悪い返事はしない。それだけは言っておく。

キミヒコ じゃあ、またな。

マコ   うん。

 

   少し離れて振り返るマコ。

 

マコ   ねぇ、晩御飯ってどうしてる? 自分で作ってる?

キミヒコ 外食かコンビニ弁当かな。おたくの弁当屋は夜やってないしね。

マコ   えー、自分で作らないの?

キミヒコ チャーハンくらいなら出来る。

マコ   ダメだねぇ。減点だな。弁当屋で鍛えた私が教えてやってもいいけど?

キミヒコ ……。よろしくお願いします。

マコ   うむ。では、先生と呼び給え。

キミヒコ はい。マコ先生。

マコ   よろしい。では、仕事が終わったら迎えに来るように。

キミヒコ はい。マコ先生。

 

   ぎこちなく小さく手を振りながら徐々に離れていく二人。

   キミヒコが立ち止まり降っていた手を力強く止める。

   マコはそれを見てうなずき上手に振り返って走って帰る。

   キミヒコはその後姿を見送ってから振り返りスキップをして下手に去っていく。