真昼の星 第十場

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真昼の星 第十場

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第十場

   渡嘉敷の家。渡嘉敷勢いよく入ってくる。

渡嘉敷  おい!

   背広と包丁を投げ捨て土足のまま廊下を走りリビングに飛び込んでくる。

   リビングは壊れている物があるもののきれいに片付けられている。

   いや、ソファーで寝転んでいるカレー男の周囲だけはスナック菓子の包みやペット

   ボトルなどで散らかっていた。カレー男は口を大きく開いたまますっかり眠り込ん

   でいる。

   渡嘉敷はひとまず靴を脱ぎ玄関に置きに戻る。

渡嘉敷  何だ? こいつが片付けたのか?

   革靴を玄関に置いてリビングに戻る。

   ソファーで寝ているカレー男を見下ろして、ソファーの背を思い切り蹴り上げる。

カレー男 地震

   カレー男は慌てて周りを見回す。渡嘉敷の姿に気がつき、首を下げる。

カレー男 おかえりっす。

渡嘉敷  どういうことだ。

カレー男 すんません。

渡嘉敷  ここは俺の家だ。

カレー男 そうなんすけど。

渡嘉敷  出て行け。

カレー男 俺の話も聞いてくださいよ。

渡嘉敷  必要ない。

カレー男 聞いたらびっくりしますよ。

渡嘉敷  背広から落ちた鍵を拾ったんだろ。

カレー男 おお、正解っす。

渡嘉敷  ほら、立て。

   渡嘉敷はカレー男をつかんでソファーから追い出す。

カレー男 乱暴しないでくださいよ。

渡嘉敷  出て行け。

カレー男 俺の話も聞いてくださいよ。

渡嘉敷  興味が無い。

   カレー男の背中を押して、廊下に追い出す。そのまま玄関を目指す。

   玄関にカレー男を落とす。

渡嘉敷  俺はあそこで死ぬのをやめたから、一人でゆっくり死んで来い。何日でもかけ

    ろ。

カレー男 だからー。

   カレー男は腰に手を当てて渡嘉敷に抗議の声を上げる。渡嘉敷はそれを阻止する。

渡嘉敷  片付けてくれたことには感謝する。だが、それはそれ、これはこれだ。

   カレー男の顔が急に真面目な顔になる。

カレー男 俺じゃないっすよ。手伝いはしたっすけどね。

渡嘉敷  何?

カレー男 俺は鍵を返しに来ただけっす。すぐ帰ろうと思ったんすけどね。

渡嘉敷  寝てただろうが。

カレー男 しょうがないじゃないっすか。片付けを手伝わせられて、超疲れたんっすから。

渡嘉敷  誰が……。

   渡嘉敷は投げ出してあった背広から包丁を取り出して、リビングへ走る。

   奥のキッチンに人が座っている。身動き一つしない。

渡嘉敷  遅かったのか。

   渡嘉敷はキッチンの照明をつける。

   明かりの中に現れたのは、ビンを持ったまま動かない由里香。

渡嘉敷  由里香?

   渡嘉敷の声に由里香は体を震わせている。渡嘉敷は彼女の前に正座をした。

   手に持っていた包丁の柄を向けて置く。渡嘉敷は頭を下げる。

渡嘉敷  すまなかった。

   沈黙が続く。

   次に口を開いたのは由里香だった。

由里香  どうしてあなたが謝るの。

渡嘉敷  俺が君を追い込んだ。

   由里香は頭を上げかけて目の前に包丁があることに気がついた。

由里香  ああ、あなたが持ってたのね。探しても無いはずだわ。

   渡嘉敷、顔を上げる。

渡嘉敷  これで君を殺すつもりだった。

由里香  ……そう。

渡嘉敷  その後、自分も死ぬ気だった。

由里香  ……良かった。まだそんな価値があったのね。

渡嘉敷  あの頃は君が全てだった。

   由里香は渡嘉敷を見つめた。

由里香  今は?

渡嘉敷  わからない。何のために生きてきたのかわからなくなった。

由里香  私のせい?

   渡嘉敷は首を横に振る。

渡嘉敷  違う。いつの間にか摩り替わっていたんだ。会社の仕事をして、地位が上がっ

    て責任を求められて、自分がいつの間にか別の自分に変えられていった。そんな

    ことにも気がつかないで、君が支えてくれていることも忘れていたんだ。

   由里香は何も言わずに渡嘉敷を見ている。渡嘉敷は頭を下げた。

渡嘉敷  ありがとう。君がいなかったら、俺は何も気がつかずに機械のようになってい

    た。君が俺を人間に戻してくれた。

由里香  私は。あなたを愛してた。今もあなたが私を愛してると思ってた。でも、あな

    たはいつの間にか私のことを無視するようになって、私は生きてるのに幽霊にな

    ってしまったの。私は生きているのよ。生き返りたかった。誰かに必要だって言

    ってもらいたかったのよ。

渡嘉敷  すまない。

由里香  死ぬつもりだったの?

   渡嘉敷は顔を上げる。

   不思議そうな顔をしていると由里香がリビングにいるカレー男を指し示す。

渡嘉敷  ああ。彼が先に立っていなかったら、今頃飛び降りて死んでいたと思うよ。

由里香  自分勝手ね。

渡嘉敷  そうだな。

   視線を落とす渡嘉敷の目に包丁の刃先があった。

   由里香がそれに気がつき包丁を手に取り二人の横に押しやった。

由里香  誰かに本気になってもらいたかった。あなたはもう本気じゃなかったから、誰

    か、誰でもいいから愛情が欲しかったの。こんな時、子供でもいればもっと長続

    きしたのかもしれないけど、私たちにはいなかった。

   渡嘉敷は姿勢を正した。由里香も見習って床に座り姿勢を正す。

   渡嘉敷は小さく呼吸を整える。

渡嘉敷  離婚しよう。

   由里香はさびしそうに笑う。そして、しっかりとうなづいた。

由里香  はい。

   互いを見つめて無言でいる二人の中にカレー男が割り込んでくる。

カレー男 ちょっと。

   渡嘉敷と由里香は慌てふためくカレー男を見つめる。

カレー男 何で離婚なんだよ。

   渡嘉敷は軽く笑った。

渡嘉敷  これは私たちの問題なんだ。君には関係ない。もう用はないだろ? 出て行け。

   カレー男はリビングの中を動き回る。

カレー男 嫌だね。おっさん、あんたあんなに泣いてたじゃねえか。奥さんのことが好き

    だから泣いていたんだろ! なぁ、そうだろ? なぁ?

   反応が無い渡嘉敷に、カレー男は言葉を浴びせ続ける。

カレー男 奥さんだってな。片付けをしながら思い出を語るんだよ。俺はマジでめんどく

    せーと思ってたけど、気持ちは伝わってきたんだよ。

渡嘉敷  わかってるさ、そんなこと。

カレー男 じゃあ、別れるなよ。

渡嘉敷  大人には大人のケジメのつけ方があるんだ。

   カレー男は渡嘉敷の胸倉をつかむ。

カレー男 何が大人だ! テメェーはぬるいだけの腰抜けなんだよ! 他所の男に寝取ら

    れただけで、それが自分のせいだってわかってんだったら、受け止めろよ! 人

    間はな、車じゃねえんだ。中古になるわけじゃねえだろうが! ふざけんなよ。

   カレー男は乱暴に渡嘉敷を放す。

   床の上に倒れこんだ渡嘉敷は、ゆっくりと体を起こす。

渡嘉敷  やり直すことなんて……。

   カレー男が渡嘉敷の上に馬乗りになる。

カレー男 人には偉そうに言いやがって、テメエは何一つ出来てねえじゃねえか。企業戦

    士なんか、怖くねえよ! 冗談じゃねえ。オヤジ狩りすんぞこの!

由里香  もう、いいのよ。

カレー男  よくねえよ! あんただって死のうとしてたじゃねえか! 何だかよくわか

     んねえ薬を飲もうとしてただろ!

由里香  もういいの。

カレー男 ふっざけんな! いいわけねえだろ!

   カレー男の腕が由里香を突き飛ばす。小さな悲鳴を上げて由里香が壁に激突する。

   それを聞いた逆上し渡嘉敷はカレー男を持ち上げて投げ飛ばす。今度は渡嘉敷がカ

   レー男の上に乗る。その真っ赤になった顔を見ながらカレー男が笑う。

カレー男 なんだよ。おっさん、やればできんじゃん。

   渡嘉敷は、すぐに我に返り由里香の元の駆け寄る。すでに頭を押さえて起き上がっ

   ている。渡嘉敷は由里香を抱きしめる。由里香も渡嘉敷を抱きしめた。

カレー男 おっさんはさ、今朝死んだんだよ。飛び降りて死んじゃったの。

   渡嘉敷と由里香は話しながら立ち上がるカレー男を見つめる。

カレー男 俺が後からやって来て、せっかく色々と身の上話? それを聞いてやって俺が

    一生懸命になって止めたのにおっさんは飛び降りた。しんじらんねえぜ。普通や

    めるぜ。へへっ、……死体はカラスが全部食っちまったんだな。あそこのカラス

    たちはいつも腹ペコだからな。んで、今ここにいるおっさんは、おっさんの生ま

    れ変わりだ。新しい人生だ。んで、奥さんの方はクズに騙されてたんだから、詐

    欺だよ詐欺。詐欺に引っかかってたんだよ。どうだ? ……二人とも目が覚めた

    ろ? ここからまた始めればいいじゃん。

   頭をかくカレー男は、首を下げて部屋を出て行こうとする。

カレー男 じゃあな。

渡嘉敷  やり直せるかな?

カレー男 あーもう! 仮にさ、おっさんがさ、本当に先に飛んでいたら、二人が会うこ

    とはなかったんだぜ。俺は神様なんか信じてねーけど、神様がそうしろって言っ

    たんじゃねえの。

   カレー男は幸薄そうに笑って家を出て行く。

   渡嘉敷は由里香を見つめる。

   由里香は渡嘉敷の胸に顔をうずめる。

渡嘉敷  ここで星になれるかな。真昼の星に。

   渡嘉敷は、由里香を強く抱きしめる。

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